「75歳で永眠(えいみん)」 久能山東照宮(くのうさんとうしょうぐう)
家康公の眠る久能山東照宮は、静岡市の駿河区と清水区を結ぶ海岸、通称(つうしょう)久能街道(くのうかいどう)の途中の石段を千数百段登った山の上にあります。
数々(かずかず)の逸話(いつわ)を残した家康公が、いよいよこの世を去る時もまた逸話(いつわ)的でした。
ある日、久能の海でとれた鯛(たい)二匹(ひき)と興津鯛(おきつだい)三匹が家康公のもとへ届(とど)けられました。家康公は、当時関西(かんさい)で流行(りゅうこう)していたテンプラにしてたっぷり食べました。場所は田中城(藤枝市)で、鷹狩りをした後のことでした。これが原因と思われ、その日の夕方、急に腹痛を起こしました。一時はなおりかけたものの、これがもとで約4か月後、自分が築(きず)いた駿府城でこの世に別れをつげました。
75歳、1616年4月17日のことでした。
その日のうちに遺言(ゆいごん)どおり遺体(いたい)は久能山に運ばれました。
二代将軍秀忠(ひでただ)は父の冥福(めいふく)を祈(いの)り現在残っている東照宮を建てたのです。
久能山東照宮に祀(まつ)られているのは?
久能山東照宮に祀られているのは誰か?と言われれば、当然家康公ですね。でも実は織田信長と豊臣秀吉も祀られていることを知っていましたか? これは家康公がこの二人から天下統一事業を引き継(つ)ぎ、ついに戦国時代を終わらせ、天下人となって『平和な日本国家』を樹立(じゅりつ)した、という意味なのです。こんど行ったら誰がどこにいるのか見つけてみよう!