≪駿府お国自慢≫

西洋外交発祥の地は“駿府”

日本最初の英語の通訳、ウイリアム・アダムズ(アダムズの活躍の地は“駿府”)

大御所・徳川家康公のメキシコ使節が太平洋横断に日本で最初に成功

日本最初の活版印刷は、駿府城の三の丸で始まる!(家康公没後に中止される)
たくさんの書物を駿府城内で印刷していた

打ち上げ花火のルーツは駿府城内!(家康公は目にした)

日本最古のゼンマイ式時計は家康公が持っていた!(大御所御前問答にトライして時計の音をゲットしよう!)

ロンドンの消防隊より古い歴史のある駿府の火消し!

大御所・徳川家康公は世界一の大金持ち!(と外国人(アビラヒロン)は見ていた)

駿府のお茶の生産は、すでに大御所時代から日本一!

日本最初の全国通貨は、駿府で鋳造された“駿河小判”!

初期金山法度のはじまりは、安部山の梅ヶ島金山!(働いていたのは囚人ではなくエリートだった)

江戸時代の最初の城下町は、天下人の住む駿府から!

天守に金属瓦(きんぞくがわら)を使ったのは駿府城天守から(家康公は鉛(なまり)のシェルターを持っていたといわれている)!

日本最初の洋船を造らせたのは徳川家康公(アダムズに命じて下田で完成)! この船が太平洋を横断してメキシコの西海岸アカプルコまで行った!

西洋世界にも名声を轟かせた、“大御所・徳川家康”!

本丸御殿の前の紅葉山庭園は、小堀遠州が造った庭で、噴水(ふんすい)があった!

西洋の武器弾薬(ぶきだんやく)より高度なものを家康公は生産していたが、鎖国(さこく)になって廃止した(英国の作家ノエル・ペリンは、『鉄砲を捨てた日本人』で、世界最初の軍縮は日本であるといっている)

駿府城の総面積(そうめんせき)は約47ヘクタールで、東京ドーム(約4.7ヘクタール)の約10倍!

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