家康公の大御所時代、駿府が日本を動かしていた。
駿府城公園
徳川家康公は、将軍職を息子の秀忠公に譲ると、1607 年に駿府城を修築して移り住み、大御所として幕府の実権を握った。大御所政治の舞台となった駿府城は、戦の要塞だった戦国時代の城とは異なり、諸国の要人や海外からの使節を迎える迎賓館のような存在だったようだ。
また、この時代には様々な日本初が行なわれている。
安倍川流域の金鉱から採掘された金により日本で最初の全国通貨「慶長小判」が駿府で鋳造され、駿府で日本初の活字が作られて出版革命が起こり、日本で最初の金属瓦を使用して駿府城が完成し、また、家康公の命により日本で最初の西洋式帆船が建造されて、日本で初めて太平洋を横断した。
家康公によって整備された駿府城下町は全国に先がけた都市計画モデルとなり、東海道一の大都市となった。日本の近世は駿府城と共に歩みだしたのだ。
家康公が愛したまち駿府。そこで築かれた平和時代の礎は、今も市内各所に残っている。