「心の支(ささ)えだったおばあちゃん」 華陽院(けよういん)と源応尼(げんのうに)
源応尼(げんのうに)は家康公の祖母(そぼ)、つまりおばあさんにあたります。家康公がまだ竹千代(たけちよ)といった幼いころ、母がわりに竹千代のめんどうをみています。
人質(ひとじち)の生活と言うと、部屋に閉(と)じこめられまったく自由のない生活を想像しますが、実際(じっさい)はそうでもありません。
スポーツのように鷹狩(たかが)りもするし、雪斉和尚(せっさいおしょう)のような一流の先生のお話をきくこともできました。
この12年間の駿府での生活が、家康公にとっては最も楽しく平和な時代だったという人もいるくらいなのです。
しかし、親や兄弟と別れての生活は、まだ子どもの竹千代にとっては寂(さび)しかったにちがいありません。世話(せわ)になった祖母源応尼(げんのうに)の墓(はか)が華陽院にひっそりと建っています。