「14歳で結婚!?」 家康公の元服(げんぷく)と浅間神社(せんげんじんじゃ)

(写真)浅間神社 昔は14、5歳になると元服(げんぷく)といって大人の仲間入りをするのが習慣(しゅうかん)でした。

家康公は1555年(天文(てんぶん)23年)14歳の時浅間神社で今川義元から元服の式をあげてもらい、名前も松平元康(まつだいらもとやす)と改(あらた)めました。

元服は人間にとって一生忘れられないものであり、のちに大御所として駿府に帰った家康公も、この思い出の浅間神社を駿府を守る神社として大切にしました。

家康公が大御所として駿府に来てから、建穂寺(たきょうじ)という駿府郊外のお寺の稚児舞(ちごまい)が浅間神社の甘日会祭(はつかえさい)として行われることになります。それが毎年4月の1日から5日まで行なわれています。

お祭りの中心ともいえる大御所花見行列(おおごしょはなみぎょうれつ)は当時の姿の一つでもあります。

元服した年に家康公は結婚しました。その4年後の1560年、桶狭間(おけはざま)の戦いで今川義元(よしもと)は織田信長(おだのぶなが)に討(う)たれ、家康公は岡崎へ帰ることができました。19歳の時でした。

子どものころを過ごし、元服、結婚、長男信康(のぶやす)誕生、そして成人してから再び生活をしたこの駿府静岡は、家康公にとっては青春の日の思い出の土地(とち)なのです。

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