二代将軍秀忠は、母のために宝台院(ほうだいいん)を建立(こんりゅう)
駿府を離(はな)れた家康公はいそがしかったようです。
- 1564年 三河(みかわ)(愛知県東部)を統一(とういつ)。
- 1570年 姉川(あねがわ)の合戦(かっせん)で勝利。
- 1572年 三方(みかた)が原の戦いで大敗(たいはい)。
- 1575年 長篠(ながしの)の戦いで大勝利。
- 1579年 秀忠(ひでただ)(後の二代将軍(しょうぐん))誕生。
この秀忠の母が西郷(さいごう)の局(つぼね)で、父家康公38歳の時でした。
西郷の局は38歳で亡くなりましたが、静岡市常磐(ときわ)町の宝台院(ほうだいいん)にその墓があります。
二代将軍秀忠(ひでただ)は母のために、この宝台院を久能山(くのうざん)や日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)と同じくらい立派(りっぱ)な寺にしたといいます。
静岡大火で焼けて小さな寺になってしまいましたが、家康公の画像(がぞう)や大切にした阿弥陀如来(あみだにょらい)が今でもあります。