大御所の町・駿府城下町の誕生
スペイン人、ドン・ロドリゴの見た駿府城と家康
ロドリゴは自著「ドン・ロドリゴ日本見聞録」の中で貴重な大御所時代の駿府城のことを次のように書いている。
「私は約束の時間に宿舎を出でて、駿府城の第一門に到達したが、そこは(江戸の)太子の門のようには見るべき物は多くない。また家も立派ではない。しかし江戸城内の建物が立派でなければ、ここは立派に見えたであろう。太子はいろんな点で威厳を備ふることが多いが、諸門の守兵及び濠や城壁については江戸も駿府城もあまり相違はない。この帝国は相続によらず、武力によってこれを獲得するために、皇帝の前任者の中には不慮の死に遭った人もいる。皇帝(家康)は、年老いて死を恐れるが故に息子の太子よりも大勢の兵士と武器を備え用心して生活している。この城も江戸城と同じく三つの堅固なる門がある。ここも江戸同様に兵士を備えている。しかしその数は江戸より多い。これらの三つの門を過ぎると宮殿に入る。特に私が注意をひかれたのは、人々の衣服や徽章(きしょう)が、部屋ごとに違っていたことである。
私たちが皇帝の手前の一室に着いた時、書記官が2人出てきた。彼らは日本において最も権威があり皇帝から尊重されている者であり、彼らの随員の数によってそのことを示していた。そこで何人が先に座るべきか暫く譲りあった後、彼らは私たちに上席に座るよう案内した。こうして二人の中で、年長であろう者が長々と挨拶し、私たちが日本の国王のもとに来たことをねぎらい祝ってくれ、私の苦労が慰安され救済された。彼等は大臣としてこの国の最も重要な事務を処理する役人であり、今回の私の事件について望むことがあったら述べるよう言われた。(中略)
皇帝は大変大きな部屋におり、その部屋の精巧なることは言語に尽くされず、その中央より向に階段があって、これを上り終れば黄金の綱がある。部屋の両側に添ってその端、つまり皇帝のいる場所より約四歩の所に達する。その高さ2バラ(1メートル67センチ)であり、多くの小さな戸(襖のこと)がある。家臣たちは時々皇帝に招かれ、この戸より出入りする。彼らは皆ひざまずいて手は床上(畳)に置き、全く沈黙して皇帝に尊敬を表していた。彼ら貴族の両側には、20名の家臣がおり彼ら一同と、皇帝の側に接近できる書記官等は、カルソンのとても長く40センチ余り床上を引きずる物(長袴のこと)を着用していた。このため足を露すことはない。(中略)皇帝は青色の天鳶絨の椅子に座り、その左方約六歩の所に私のために予めこれと異なる椅子が用意されていた。
皇帝の衣服は、青色の光沢のある織物に銀を以て多くの星や半月が刺繍されており、腰には剣を帯し、頭には帽子または他の冠物はなく、髪を組んで色紐で結んでいた。皇帝の歳は60歳くらいで中背の老人であり、尊敬すべき愉快なる容貌で秀忠公より肥満していた」と記したのが、ロドリゴの駿府城と家康自身のその時の風貌を伝えた唯一の史料である。
彼が見た駿府城は、特に内部(謁見の間)の見事な装飾に注目しているここと、さらに警護の兵士が多かったことも知ることができる。この記録は、駿府城内部の御殿を知る数少ない史料の一つでもある。