西暦 |
和暦 |
歳 |
大御所家康公の出来事と事跡 |
1590 |
天正18 |
49 |
朝日姫没(享年48歳)。家康、小田原の役の先鋒隊として出陣し、善戦。北条氏を滅亡。秀吉の命により、東海五カ国からの首都「駿府」から関東に国替(江戸城に入る) |
1591 |
天正19 |
50 |
関東の諸寺院と諸神社に領地を寄進し、関東支配を確実にする。太田道灌依頼の江戸城の修築工事始まる。 |
1592 |
文禄1 |
51 |
忠輝誕生 秀吉は朝鮮出兵を命ずる、家康は京都に上り、その足で肥前名護屋を視察。 |
1593 |
文禄2 |
52 |
肥前名護屋から大坂に帰る。江戸城築城に本格的に着手。この年江戸で藤原惺窩の講義を聞く。朝鮮出兵には不参加。 |
1594 |
文禄3 |
53 |
上京し、年末まで京都、大坂と滞在し秀頼父子に忠誠を誓う。 |
1595 |
文禄4 |
54 |
豊臣秀吉、関白秀次を追放し自殺させ一族を皆殺し。家康ら五人連署で「御掟」「御掟追加」を発布する。 |
1596 |
慶長1 |
55 |
秀吉の朝鮮再征に反対する。 |
1597 |
慶長2 |
56 |
秀吉、朝鮮再出兵(慶長の役)。秀忠の長女千姫、伏見に生まれる。家康,秀吉の花見に同行。この頃、駿府にキリシタン信仰始まる。 |
1598 |
慶長3 |
57 |
秀吉、諸大名並びに家康・前田利家に誓書を提出させ、後事を託す。五大老、五奉行間でも誓書を交換。前田利家は、大坂で秀頼の補導するように命ぜらる。この年秀吉没〈享年63歳〉。朝鮮出兵の諸将に引揚げを命ず。 |
1599 |
慶長4 |
58 |
豊臣秀頼、伏見から大坂城へ移る。前田利家没〈享年62歳〉秀頼の後見となる。大坂城へ移る。 |
1600 |
慶長5 |
59 |
関ヶ原の合戦、義直誕生 |
1601 |
慶長6 |
60 |
家康、東海道・中仙道の伝馬制を整備。伏見に銀座を置く。板倉勝重を京都所司代に任命。秩序ある貿易(朱印船貿易)を制度化。此の年、二条城築城を西国大名に命ずる。 |
1602 |
慶長7 |
61 |
頼宣誕生(徳川家康の10男)で、水戸藩・駿府藩・紀州藩の藩主を歴任し後に紀州徳川家の祖となる。母は側室の養珠院(お万の方)である。母於大没〈享年75歳〉。江戸城内に文庫建立。駿府の著名寺院の寺領安堵。 |