大航海時代の駿府の家康公
黄金の国ジパングの王様・徳川家康
この時代西洋から見た日本は、島国と言うよりは絶海の孤島として映る幻の空白地域である。彼らは日本を「黄金の国」(ジパング)と呼び、南極や北極と同様に極東と見なして地球上の謎の空白地帯であった。
そんな日本を紹介したのが、マルコ・ポーロの「東方見聞録」だ。ヨーロッパの人々は、黄金の国を探すため先を争って大航海の旅に出た。冒険者たちの終着点は、当然日本であり、日本を支配していた徳川家康の町「駿府」が彼らにとってはジパングの首都だった。マルコ・ポーロは「東方見聞録」でジパングの何を語ってヨーロッパ人に刺激を与えたのか、その本から見てみよう。
「さて、私たちはインドの土地を説明することになった。そこで私はまずジパングの大きな島から始めよう。東方にあるこの島は、マンジ(Mangy)の海岸から1,500マイルの大海中にあり、非常に大きい。住人は色白で、ほどよい背の高さである。彼らは偶像崇拝者であり、彼ら自身の国王を持っており、他国の王に従属していない。そこには莫大な黄金があるが、国王はやすやす黄金を島外へ持ち出すことを許さない。それ故、そこへはほとんど商人が行かないし、同じように、他所の船もまれにしか行かない。その島の国王は大宮殿を所有している。その建物は、私たちの教会が鉛で覆われているように、すべて純金で覆われている。宮殿の窓は金で飾られ、細工が施されている。広間や多くの部屋の床には、黄金の板が敷かれ、その厚さは指二本ほどである。そこには小粒の真珠が豊富にあり、丸くて肉厚で、赤味がかり、値段や価値の点で、白い真珠よりもまさっている。その上に、大量の真珠や宝石がある。このようにジパング島は驚くほど豊かである」と記述し、また次のような恐ろしい記述もある。
「ジパングの住人は外国人を捕らえた場合、もし金銭で身受けされるならば、金銭と交換に彼らを解放する。もし身代金に値する代金が得られない場合は、捕虜を殺し料理して食べてしまう。そしてこの席には親戚や友人を招待し、彼らはそのような肉を非常に喜んで食べる。彼らは、人肉が他の肉よりもすぐれ、はるかに味がよいといっている」(マルコ・ポーロの「東方見聞録」)。
「東方見聞録」に記されたジパング(日本)の情報は、ヨーロッパ人に「日本=黄金の島」として伝えられた。その影響は計り知れない程に幻惑と魅力と謎に満ちていた。実は、「東方見聞録」の黄金伝説以外にも、古代ギリシヤやローマ時代にも東洋に黄金の国があるという伝説があった。その黄金伝説が、具体的な形となって「東方見聞録」で紹介されたのがジパングである。