まだある、家康公の魅力
家康公に学ぶ生き方
三方ヶ原の敗北では、家康公は死ぬ気であったという。浜松城の城門は開放し、かがり火を焚いて城内からは酒井の太鼓を打ち鳴らしていた。つまり断末魔だった。それが逆に武田信玄を不安がらせた、「これは罠だ、何か仕掛けがあるぞ」ということで、信玄側を攪乱させたことは有名な話だ。
赤々と真昼のように燃え盛るかがり火の中で、酒井左衛門尉忠次は、味方を鼓舞するため城櫓(やぐら)に上り、天地も裂けよとばかり太鼓を打ち鳴らした。鳴りわたる太鼓の気迫はすさまじかったという。こうして、酒井忠次の打った太鼓は、家康の危急を救い、徳川勢に勇猛心をふるい立たせ、運 命を逆転させる出世太鼓となった。以来家康は、三方ケ原合戦の苦い経験を活かし、不屈の精神をもって天下平定の偉業を成し遂げたのも、咄嗟の機転で信玄たちを城から遠ざけることができたからに他ならない。
長篠の戦いでは、最先端技術の大切さを学んだのも家康公であった。鉄砲の威力に加え、最先端技術の大切さである。また強右門の活躍が、情報の必要と忍者集団の強化に拍車をかけ、ニューリーダーの必要用件としの時代の変化を読む力を養うことできたのも家康公持前の判断力であった。