駿府キリシタンの光と影
アビラ・ヒロンの「日本王国記」から
アビラ・ヒロンは、「日本王国記」の中でキリシタン信徒および宣教師が、徳川家康によってどんなに迫害されたかを記し、ウィリアム・アダムズによって始まったと、次のように厳しく指摘している。「この王国(日本)で難破した船の水先案内であったイギリス人が造った小帆船で、一六一〇年、ドン・ロドリゴはメヒコ(メキシコ)に向け出船した。このイギリス人はアダムズといい、われらの主とキリシタン宗徒たちに不利になるでたらめごとを国王(家康)に告げ口して、われわれをひどい目に合わせたのである」(「日本王国記」)。
アビラ・ヒロンのほかにも、駿府でのキリシタンの平和な時代や、あるいはそれから一転し、迫害へ進んだ事実を目撃した外国人は大勢いた。やがてこの弾圧が、幕府直轄領だけでなく全国的に広がっていったのが翌年慶長18年(1613)であった。このときの「伴天連追放之令」は、金地院崇伝の手によって江戸で一夜のあいだに起草されたものである。