大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ

大航海時代の駿府の家康公

ウイリアム・アダムズ

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エリザベス朝時代のイギリス

大御所家康の国際外交を支えた人物にウィリアム・アダムズがいた。家康がアダムズと出会うことがなかったら、家康の国際外交は大きく変質していたに違いない。日本とオランダとの国交は慶長14年(1609)のオランダ国王使節の来日に始まる。このきっかけを作ったのはアダムズだ。また日本とイギリス両国の橋渡しをしたのも彼であり、最初のオランダやイギリス外交にアダムズが果たした役割は大きい。ここでは日本に初めて来たイギリス人ウイリアム・アダムズが来日し、家康とかかわった経緯から見てみよう。

彼の出生の記録が、ロンドンから東に約50キロ離れたケント州ジリンガムのマリー・マグダリーン教区教会に残されている。アダムズは1564年9月24日この町で生まれた。シェイクスピアと同じ年の誕生である。16世紀のイギリスは、女帝エリザベスが即位し(1558年)、イギリスの産業や貿易が盛んになり、イギリス海軍が光り輝いたエリザベス朝時代である。イギリスが大英帝国へと進む栄光へのスタートの時代であった。エリザベス女王は、オランダの独立を支援しスペインに反発を深めたため、これに反発したスペインは1588年世界に誇る無敵艦隊をイギリスに進撃させた。

イギリスがこの無敵艦隊を撃破したことによって、イギリスやオランダがスペインの制海権を奪い世界進出に躍り出た。アダムズの生まれたこの時代は、イギリスが世界的規模で世界中に動き出し、スペインとポルトガルに代わって世界に羽ばたいた時代であった。そんなころにアダムズは、リーフデ号で日本に向かった。

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