大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ

大航海時代の駿府の家康公

(コラム)宣教師が伝える家康の動向

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宣教師たちは、豊臣秀吉が亡くなると家康の存在に注目した。スペインのフィリピン総督ドン・ルイスが新しく総督となると、テリョに家康のことをこう伝えている。「関東の国王家康は、関白(豊臣秀吉)を除いては日本最強の諸国王の一人で、全国の統治と主権において関白の後継者になるであろう」また、日本に来た司教ルイス・デ・セルケイラがイエズス会に送った書簡では、こう述べている。

「全日本の支配者である内府様(家康)は、キリスト教を好まない。内府を始め、異教徒の大名たちは、太閤と同様に、ルソンやメキシコのスペイン人は、他国を侵略するものだと固く信じている。サン・フェリーペ号の船員たちがいったように、布教は侵略の手段に過ぎぬと思っている。ただし日本の諸侯は、日本の武力について自負心を持って居り、他国から侵略されることはなく、むしろ他国を征服できると思っている」。また、慶長14年(1609)12月に、駿府城に諸大名を謁見の際に同席したスペイン人ビベロ・イ・ベラスコは、大御所家康のことを次のように記していた。「いかにも大物らしい大名が謁見の間に入ってきた。その位がどれほど高いかは、たずさえてきた贈答品を見れば、一目瞭然であった。金銀の延べ棒と絹の小袖、その他もろもろを概算すると二万ドゥカド以上の価値があると思われた。贈答品は最初いくつかの台の上に載せられてあったが、皇帝(家康)は目もくれなかったように思う。この殿は家康閣下の玉座から百歩以上はなれたところにひれ伏し、床に接吻するつもりかと思われるほど首を深く垂れていた。だれ一人この殿に言葉をかける者はなく、殿もこの部屋に入る際に目を上げて皇帝の顔を見るようなことはせず、やや大ぜいの従者を引き連れて御前を退出した。私の従者たちの話だと、随員の数は三千人(三十人の誤りか?)くらいだったということである」(「通辞ロドリゲス」マイケル・クーパー著より)。

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