大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ

大御所・家康公史跡めぐり

伝馬町(東海道府中宿・十九番目の宿場町〕

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伝馬町 現在の伝馬町と同じ

東海道は慶長6年〔1601〕から、家康公によって整備が進められた。それまでの中世以前の東海道と異なり、宿場では伝馬朱印状〔運搬許可証〕を持つ公用物資は、無料で次の宿まで物資の運搬が義務付けられた。それぞれの宿では、当初は伝馬三六匹を常備させ、公用以外の物資運搬はそれぞれの宿で駄賃を定めた。  宿場はその代償として、旅客を旅籠に宿泊させて利益を得ることが許され、また特権として宿内の一定の面積が無税となっていた。旅人は宿場の旅籠だけに宿泊することが義務づけられた。寛永元年〔1624〕の庄野宿〔三重県鈴鹿市〕の設置によって東海道五十三次の全宿場が完成した。
 東海道の交通量は、寛永12年〔1635〕からの諸大名の参勤交代によって飛躍的に増加した。このため各宿には、馬数百匹、人足百人を常設した。さらに物資の運搬が必要な場合は、近隣の村々を助郷として人馬を提供させた。さらに宿場には、本陣と脇本陣が設置され、大名や身分の高い人物が宿泊した。その他の旅人は、旅籠や木賃宿〔米持参で焚き木を買って自分で煮炊きして宿泊〕に宿泊した。
 馬の餌として飼い葉を育てたところが、伝馬町新田(現在の伝馬1-2丁目)である。

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