大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ

大御所・家康公史跡めぐり

鷹匠町

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鷹匠町 葵区鷹匠 1-8、一加番稲荷が面影を残す場所

画像元々、武家屋敷地であったこの町は、駿府96ヶ町には数えられていない。ここには家康公に奉仕する鷹匠が居住する町として誕生した。鷹匠として家康公に尽くした伊部勘右衛門は、老齢となったためそれまでの褒美として安倍川町の遊郭支配の特権を与えられたことで有名である。
武家の町である鷹匠町に続く入口には、「くまたか橋」と呼ばれた石があり、家康公在城の頃には、ここで「くま鷹」を飼育していたことから「くまたか橋」と呼ばれるようになった。地内には一加番〔駿府城の警護の役人の屋敷と与力同心の詰所〕があった。
 鷹匠は家康公の鷹狩りに絶えず同行していたため、家康公の身辺の秘密情報にも接していた。このため鷹匠の住む屋敷には、忍者も出入りしていたという。

閑話休題

家康公は大金持ちだった
スペイン領フィリピン臨時総督になったドン・ロドリゴは著書「日本見聞録」で駿府の家康公のことを次のように記している。
「皇帝(家康)は世界の裕福な君主の一人で、諸都市は人口も多く清潔で秩序正しく、街路は幅広く直線で、スペインに優る。銀の鉱脈も多く、金もその質が非常に良い。」
と、またアビラ・ヒロンが著した『日本王国記』〔1603〕の中で、家康公のことを次のように述べている。
「内府〔家康公〕は日本に於いても、京都に於いても、関東に於いても歴代のなかにて、最も富裕なる君にして、巨額の金銀を集積し、それがため、至る処に頗る人々に恐れらる。内府の京都方面にあるときの住居なる伏見の第(てい)に貨幣を貯蔵したるに、数月前その重量のために、梁折れて一室陥落したり。此の莫大なる財宝は、独り諸人よりの数多の豊富なる献上物に依るのみならず、主に日本にある処の数多の金銀鉱山より来るものにして、内府は悉く之を独占す。しかのみならず、近頃再び発見せられ、毎年非常の高を掘り出すこととなれり」〔『日本王国記』〕とある。

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