大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ

大御所・家康公史跡めぐり

浄土宗 江浄寺(こうじょうじ)

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江浄寺 江浄寺清水区江尻東3-6-6JR清水駅から徒歩約10分

江浄寺室町時代の永正9年〔1512〕鎌倉光明寺第九世観誉祐崇上人が、京都に上がる途次、勝沢の地に、勝沢山江浄寺として創建したのが起源。その後、徳川家康公が江戸幕府を開き、東海道宿駅の江尻宿を開設されるにともない、江浄寺は現在地に移転し、市中山江浄寺と山号をあらためた。
 その頃の境内は約三千坪〔一万㎡〕の敷地を有し、善生庵、潮音院、観音堂などの諸堂が立ち並び、岡崎三郎信康公〔家康公の第一子の遺髪〕の御廟所が祀られた。こうした経緯から、東海道を往来する大名が行列を止め、御廟にお参りすることが常となっていた。また朝鮮通信使の一行も、この寺に二回宿泊している。ところが江尻宿を襲った寛政の大火と安政地震で、寺は伽藍と多くの記録類を失った。
 岡崎三郎信康公は、家康公と築山御前の嫡男で、信康公が武田家と内通していると疑われ、織田信長の命令によって築山御前と共に戦国の犠牲となった。家康公は苦しむが、信長との同盟を守り、徳川家を存続させるため、天正7年〔1579〕9月15日、信康公は遠州二俣城内で自害。時に21歳の将来を属望されていた若武者だった。
 慶長11年〔1606〕、信康公の家臣榊原清政の侍女と平岩親吉〔ちかよし〕の二人が、住職との縁で信康公の遺髪を境内に埋め、その当時の五輪塔が供養のため現存している〔「江浄寺パンフ参照」〕。

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