大御所・家康公史跡めぐり
下魚町(しもうおちょう)と宝台院(ほうだいいん)
下魚町 | 現在は常磐町地内 |
宝台院 | 葵区常磐町2-13-2、JR静岡駅から徒歩約8分 |
駿府城下町の魚や塩を扱う魚問屋があったため、塩屋町とも呼ばれた。駿府城下町には、上中・下魚町が置かれた。下魚町の地内には、著名な宝台院がある。二代将軍秀忠公の生母〔西郷局〕の菩提寺で、昭和15年に静岡大火で焼失したが、それまでは江戸時代初期の寺院建築の傑作として国宝に指定されていた。
家康公の側室(西郷局)は、平素目を病んでいたため駿府の盲女を哀れみ、寺の西側に盲女屋敷を作って衣服や食料を与えていたという。家康公の出陣を励ました盲女の「勝鬨節」で、喜んだ家康公も盲女を大切にしたという。宝台院はそうした西郷局のゆかりの地〔盲女屋敷〕の近くに局の没後に秀忠公によって創建された寺であった。駿府では盲女のことを「ごぜんのう」と呼んで町民も大切にしたという。
宝台院
家康の側室、二代将軍秀忠の生母〔西郷の局 天正17年(1589)5月19日卒〕の菩提寺で、初めは龍泉寺と呼んだ。「宝台院」は西郷の局の法名「宝台院殿」から名付けられたもの。江戸初期を代表する寺院建築として豪華絢爛の堂々とした大伽藍でした。かつては狩野派による障壁画で飾られた建物や、徳川最後の将軍徳川慶喜の蟄居(ちっきょ)謹慎されていた部屋をはじめとして、このお寺は国宝として注目された。 しかし、昭和15年の静岡大火で焼失されたことが悔やまれる。寺には現在でも西郷の局の五輪塔が、往時の面影を残して現在の伽藍の一隅に建っている。また昔は駿府城内にあったといわれる「キリシタン灯篭」が目を引く。〔キリシタン灯篭とかくし坊〕江戸時代の宝台院の大伽藍の山門は、小笠郡のお寺に移築されその姿を留めている。
宝台院の家康公の阿弥陀如来像
約1メートルあるこの阿弥陀佛は、家康が岡崎の大樹寺の登誉上人から授けられ、大御所時代は駿府城内に安置した念持佛として知られる。それを孫の家光の誕生を祝い、自画像とともに西郷局の菩提寺宝台院に寄贈され今日に至る文化財となっている。この仏像は昭和15年の静岡大火で宝台院が焼失したとき、県庁の文化財担当の職員が駆け付け、光背と台座を外し火の中から持ち出したというものである。