大御所・家康公史跡めぐり
門屋(かどや)の御関屋跡
葵区門屋 | JR静岡駅から安倍線バス約30分、門屋下車、徒歩3分 |
家康公の駿府城御在城の時には、安倍奥の金山が盛んに金を産出していたという。このため、門屋村〔葵区門屋〕には、安倍の山中に出入りする人や馬の荷物を調べる関所があった。その場所を御関屋と呼び、看板が掲げられている。また地内の旧家白鳥家には、家康公の御巣鷹を管理していた古い古文書〔現在は静岡市に寄託〕が残されている。
閑話休題
津渡野城 葵区津渡野
永禄・天正の頃、高滝将監がこの城を守っていた。井川の安倍大蔵元真(もとざね)父子が家康公の味方となったため、武田信玄は駿河の五ヶ所に砦を構えて防戦した。この津渡野城でも戦闘が起こり、城は落城し女子供が安倍川の淵に身を投げて死んだという。村人は気の毒な死者の霊を慰めるため、毎年七月七日に松明を灯して施餓鬼をするという。
この村では、隣村の松野と同様お正月の餅をつかないという。理由は桶狭間の戦いに参戦した土豪が、戦勝して帰国するまでは餅をついてはならぬといわれただ。今日でもその習慣を守っているという。