大御所・家康公史跡めぐり
感應寺
感應寺 | 葵区駒形通1-5-5、JR静岡駅から小坂線、用宗線バス約7分、新通小学校前下車すぐ |
寺町の感應寺は日蓮宗身延山久遠寺の末寺で、紀州頼宣公の生母養珠院が開基という。家康公は自ら寺の縄張りを決め、境内に池〔瓢箪(ひょうたん)型〕を掘らせ養珠院は魚を放生〔供養のため生き物を放つこと〕したという。寺には大御所家康公御成の間も造られ、養珠院より寄贈された釈迦如来や大黒天、その他多くの台所用品も贈られたという。
感應寺 | 葵区駒形通1-5-5、JR静岡駅から小坂線、用宗線バス約7分、新通小学校前下車すぐ |
寺町の感應寺は日蓮宗身延山久遠寺の末寺で、紀州頼宣公の生母養珠院が開基という。家康公は自ら寺の縄張りを決め、境内に池〔瓢箪(ひょうたん)型〕を掘らせ養珠院は魚を放生〔供養のため生き物を放つこと〕したという。寺には大御所家康公御成の間も造られ、養珠院より寄贈された釈迦如来や大黒天、その他多くの台所用品も贈られたという。
戦国の孤児から将軍へ
戦国覇者・家康公の実像
アメリカ人の見た徳川家康
幼少時代の竹千代
五カ国統治時代
駿府から江戸へ
関ケ原の合戦まで
将軍・徳川家康誕生
引退
隠居でなかった家康の晩年
駿府城について
閑話休題
大御所の町・駿府城下町を歩く
ドン・ロドリゴの見た駿府城と家康
家康の「五カ国領有時代」とは
勝手に流れていた安倍川
駿府城下町造り三奉行
四神相応から見た駿府城下町
駿府城下町の町割(都市計画)
駿府城下町の特徴
国際外交をリードした家康
黄金の国ジパングの王様・徳川家康
ジパングを求めて
皇帝と呼ばれた駿府の家康
大航海時代を意識した町造り
家康の外交文書を作成したソテロ
ウイリアム・アダムズ
家康、アダムズを召喚
アダムズ、造船に着手
破格の待遇を受けたアダムズ
外国人の大御所詣で
- オランダ国王使節の来日まで -
外国人の大御所詣で
- イギリス国王使節、駿府へ -
外国人の大御所詣で
- サン・フランシスコ号の座礁から
スペイン国王使節、駿府へ -
駿府から始まったキリシタン信徒迫害
岡本大八事件とキリシタン弾圧
アビラ・ヒロンの「日本王国記」から
大奥の侍女・ジュリアの信仰と追放
イギリス国王使節の見た、駿河の迫害
はじめに
駿府城
「駿府町奉行所跡」
札ノ辻町
伝馬町
紺屋町と少将井社
下魚町と宝台院
宮ケ崎と報土寺
上魚町と金座
馬場町と山田長政の銅像
安西と稚児橋
安倍川町
弥勒町
七間町
呉服町
両替町
寺町
宝泰寺
華陽院門前町
鷹匠町
草深町
原主水の銅像
感應寺
清水寺
蓮永寺
長源院
愛宕神社
浅間神社
丸山と福田寺の名月
若宮八幡宮の大楠と志貴家
駿府御薬園跡
臨済寺
内牧の結成寺
松留の貴庵寺
門屋の御関屋跡
梅ケ島の日影沢金山
増善寺
建穂寺
薩摩土手
瑞竜寺
井宮神社
用宗城
誓願寺
徳願寺
宇津の谷のお羽織屋
久能山城
石蔵院
照久寺〔現宝台院別院〕
龍泉院
お茶壺屋敷
草薙神社
大御所家康公と清水港
清水御殿(下清水御殿)
貝島御殿と富士見櫓
巴川の河童(稚児橋)
浄土宗江浄寺
清見寺
庵原村吉原善原寺
三ツ石、八ッ石
海長寺
蒲原御殿
由比本陣と家康公お手植えの松
林香寺
家康公が成功したのは「情報戦」
家康は情報操作の天才
家康公に学ぶ生き方
家康に学ぶライフスタイル
家康公の離れ業
家康公の駿府大御所とは?
ヨーロッパの時計が日本に
家康研究の基本図書リスト
郷土資料としての家康関係本リスト
家康関係郷土資料リスト
郷土の江戸時代関連資料
江戸時代の家康重要文献リスト
(工事中)
駿府城発掘情報
幼年時代・人質前期
青年時代・人質後期
岡崎城主時代
東海五カ国支配時代
関東支配時代
征夷大将軍時代
駿府大御所時代
駿府城天守調査の現状
葵のご紋とは
駿府城の現状
参考文献
はじめに
駿府城内の伝説から
駿府城下町の伝承から
薩摩土手
安倍川をめぐる出来事
駿府城下町の寺社
浅間神社とその周辺
駿府の周辺の寺社
賤機から梅ケ島方面
服織・藁科方面
美和地区方面
長田(おさだ)地区方面
久能山東照宮と久能山城
瀬名地区方面
麻機地区方面
井川地区
梅ケ島地区
清水区
由比・蒲原方面
番外
編集を終わって
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