大御所・家康公史跡めぐり
大御所家康公と清水港
清水港 | JR清水駅からバス、波止場フェルケール博物館下車 |
慶長12年(1607)家康公の駿府大御所時代に清水港は、駿府の外港として発展していた。当時の湊は上町・本町・美濃輪町の一帯で、巴川の河口を利用した湊であった〔戦国時代は江尻〕。この辺りを清水町と呼んだことから、清水湊が形成された。大御所家康公は権威を背景とし、駿府と清水湊が船で結ばれる計画を実現させた。清水港は徳川の軍港でもあった。
また慶長12年〔1607〕、村松の三つ山の地には御船蔵を建て関船を停泊させていた。慶長6年〔1620〕御船蔵は、村松から片浜〔現千歳町付近〕に移され、清水湊で造船された長永丸や大広丸などの軍船が停泊していたという〔清水湊旧記〕。
清水湊に外国船が入港し、美しい姿を海上に浮かべていたという記録は、朝鮮通信使の記録に残されている。その様子は九州国立博物館所蔵の「南蛮船駿河湾来航図屏風」に見ることができる。