大御所・家康公史跡めぐり
建穂寺
建穂寺 |
JR静岡駅から藁科線バス20分、羽鳥団地下車、徒歩15分 無人のお寺ですが、地元のみなさんができる限りご案内いたします (問合せ先:建穂寺の歴史と文化を知る会 090-3937-2608) |
真言宗の由緒ある建穂寺の創立は平安時代に遡り、安部七観音の霊場でもある。現在寺はなく、町内会で管理する観音堂の中に往時を偲ぶ見事な仏像が50体ほど残されている。本来お寺があった場所には建穂神社が、裏山には昔の観音堂道が残され、観音堂跡地に往時を偲ぶことができる。途中に墓所があり、石仏が見物である。建穂寺伝来の稚児舞はこの観音堂で古くから行われ、今川時代に駿府に食客として滞在していた山科言継はその様子を『言継卿記』に記している。
家康公も建穂寺の観音会に参詣し、稚児たちが奏でる舞いが気に入り、浅間神社に奉納し天下泰平・五穀豊穣を祈願させた。その見返りとして、建穂寺に家康公は456石の寺領その他を寄贈した。寺領456石は県内では最高の待遇であり、その朱印状が浅間神社に残されている。
浅間神社との関係
古来この寺では稚児の祭りが行われていたが、徳川家康公が大御所として駿府に来るとこの祭りを浅間神社に奉納することになった。これが浅間神社の「廿日会祭」〔現在の静岡祭り〕のルーツであり、浅間神社にはこのことを伝える古文書が残されている。〔浅間神社文書〕
見所
見事な仁王像ほか仏像〔約50体、内静岡県指定2体〕 観音堂裏の丁石〔県内最大の丁石〕 涅槃絵図 天台鵜薬〔静岡県天然記念物〕
稚児
稚児道とは稚児の神事が浅間神社で奉納されることに対し、家康公がお礼として安倍川右岸から建穂寺大門までの道を寄進したものである。また安倍川左岸の安西五丁目を建穂口と呼んで、建穂から来るお稚児さんをお迎えする場として名付けられた。その後安倍川に橋が架けられると、その橋の名を「稚児橋」〔現在の安西橋〕と呼んだのもこうした建穂寺と稚児の由緒によるものである。
閑話休題
小瀬戸の石切り場
これも同じく藁科の話で、駿府城の城石を切り出した小瀬戸石の切り場である。ここは現在でも石を切り出した場所がはっきりと残されている。切り出そうとして刻印を刻んだままの石、大きく楔を入れた痕跡などが残されており、城と結びつく立派な文化財である。
足久保茶
聖一国師がお茶を伝えたという伝承のある足久保茶は、大御所家康公の御用茶として大切に保護されていた。お茶の御用を勤めた足久保の茶師たちは、代金として毎年千両千人扶持をもらっていた。このため安倍と藁科の谷に産する茶は、足久保茶と呼ばれて遠く江戸にも問屋が設けられ銘柄として、直接江戸との取引が行われ利益を得ていた。
ところが、お茶を商う茶問屋が駿府城下町の茶町に置かれ、必ず駿府の茶問屋を経由しないと売買出来なくなった。つまり足久保茶商の特権が失われ、元通り江戸と直取引をと訴訟が起こった。
足久保村ほか安倍郡65ヶ村は一致し駿府茶商を相手取り、茶一件として江戸の町奉行にまで訴訟を持ち込み、事件は幕末まで続けられ有耶無耶に葬られたままで真相はわからずじまいとなって今日語りつがれている。お茶処静岡ならではの大事件であった。