大御所・家康公史跡めぐり
丸山と福田寺の名月〔現安西寺〕
安西寺 |
葵区丸山町 23、JR静岡駅から中原池ケ谷線、安東循環バス (中町廻り)12分、丸山町下車 |
大岩村〔現在の葵区丸山町〕の丸山に福田寺があり、家康公が鷹狩りのときに立ち寄って見晴らしの良い場所で御茶を楽しんだという場所があった。ある日、家臣の後藤庄三郎光次という金座の役人に「向こうに見える山は何というか」と名前を尋ねると、光次がかしこまって「南は八幡山、東に見えるのが清水山と愛宕山」などと答えると、家康公は「この場所は京の丸山〔円山〕の景色によく似ている」と云われたという。
そこで、家康公は光次に命じて京都の円山から徳陽軒と云うお坊さん呼び寄せてそこにお寺を建てさせ、この地を丸山と名付けた。その翌年の9月13日、再び鷹狩りに訪れた家康公がこの寺に寄ったら、十三夜の月が昇り始めた。家康公はそこで、お寺の後ろの山麓に清らかなる清水が湧出ていることから、美しい月夜を次の歌にして残している。
松高き丸山寺の流れの井 いくとせすめる秋の夜の月
この歌から山号を秋月山と呼ぶようになり、また鎮守の弁財天は家康公の寄付したものという。〔丸山町西谷祐一様談〕。
現在安西寺は丸山地内にあるが、江戸時代は馬場町にあって今川時代から今川家に厚く保護されていた。当時の寺には、家康公寄贈の妹背石と呼ばれた石があってこれは家康公から頂戴したものという。
丸山の東照宮
浅間神社の境内にはお寺があった。これは浅間神社に付属していた社僧寺〔神職と僧侶が同一のお寺〕である。その中の一つである惣持院は、大御所時代に家康公に仕えた金地院崇伝が住んでいたという。その寺には美しい庭があり、山の麓には家康公が亡くなった後に東照宮が建立された。それが現在の東雲神社であるが、東照宮の建物は、数ね前に焼失したのが残念である。