大御所・家康公史跡めぐり
安倍川町 (現静岡県地震防災センター)
静岡県地震防災センター |
葵区駒形通5-9-1 JR静岡駅より西部循環(駒形回り)バス 15分、駒形通5丁目下車、徒歩2分 |
慶長14年〔1619〕、家康公が京都伏見の遊女を駿府に移した。場所は、川辺村の領分で、川原屋敷があった場所という。安倍川の川原の中にあったため、この名前が付けられたという。昔は上町・中町・旅籠町・新町・揚屋町の五町あった。
また、この近くにはキリシタン寺もあり、慶長17年(1612)のキリシタン信者の迫害もここで行われたという。元和2年(1616)家康公が没すると大名・旗本も駿府を引き揚げたため安倍川町の遊郭も一時衰退した。二町を残して三町が江戸に移転した。このため遊郭のことを駿府では二丁町と呼んだという説もある。〔ただし異説もある〕