大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ

大御所・家康公史跡めぐり

七間町

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七間町 葵区の七間町付近を散策して下さい

今川時代の駿府の豪商〔伴野氏〕が伴野座の七座の長として、この地に屋敷地を置き支配していた。このことから「七間〔軒〕」の由緒だという。慶長19年〔1614〕8月29日、大蔵卿局が方向寺の鐘銘事件の事で釈明のため駿府に来た。その時に大御所家康公の駿府城登城をはばかって、七間町に寓居し某邸宅に阿茶局を招いて方向寺鐘銘の陳謝をしたことで有名。(注:大蔵卿局は淀君の乳母)
 大御所時代に七間町に宅地を構えていた人物は、家康公の側室の別邸であったと言い伝えられているが、場所その他の詳細は不明である。 今川時代の駿府の豪商〔伴野氏〕が伴野座の七座の長であり、伴野宗全〔友野とも〕が家康公の命により駿府城下町の町割〔都市計画〕を担当した一人であることから、有力者の伴野氏の可能性も想起されるところである。

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